「推理小説論」
推理小説というものは推理をたのしむ小説で、芸術などと無縁である方がむしろ上質品だ。これは高級娯楽の一つで、パズルを解くゲームであり、作者と読者の智恵くらべでもあって、ほかに余念のないものだ。
しかし、日本には、探偵小説はあったが、推理小説は殆どなかった。小栗虫太郎などはヴァン・ダインの一番悪い部分の模倣に専一であって、浜尾四郎や甲賀三郎の作品も、謎解きをゲームとして争う場合の推理やトリックの確実さがない。終戦前の探偵文壇は怪奇趣味で、この傾向は今日も残り、推理小説はすくないのである。
坂口安吾による「推理小説論」の一節です。
坂口安吾の「推理小説論」はすごい。
本当にすごい。
何がすごいかって、ヴァン・ダインやアガサ・クリスティー、横溝正史などの名だたる推理作家の代表作を論評の風を装って、いともあっさりとネタバレさせてしまうのである。
ネタバレするぞ!
ってくらいの勢いでもって書いてあれば、こちらとしても覚悟のしようがあるというものなのだが、すごいあっさりと、しかも次から次へとトリックが明かされて行くのだから、ある意味すっごいミステー。怖くてドキドキしてしまう。
今さら古典的名作は読まないだろうなぁ。
と思いつつも、でも未読作品のトリックは知りたくないから、今回の坂口安吾の「推理小説論」はさっとしか目を通さないことにした。
それにしても。
この文章が発表された当時の人たちは、どんな気持ちでこの文章を読んだのだろう。
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「推理小説論」坂口安吾 – 青空文庫