仏教人生読本
悲観も突き詰めて行って、この上悲観のしようもなくなると楽観に代ります。今まで泣き沈んでいた女が気が狂ったのでなく静かに笑い出すときがそれであります。さればとて捨鉢の笑いでもありません。訊いてみると、「ただ何となく」といいます。私はその心境をしみじみ尊いものに思います。
大正・昭和期の作家 岡本かの子の「仏教人生読本」の一節です。
この文章が書かれた当時と今とではまったく状況が違うから、悲観を突き詰めた先にある楽観というものが、どれだけ壮絶なものなのか。
いくらわかろうとしても、きっと100パーセント理解することはできないだろうし、むしろ理解することのできない自分の境遇をしみじみと感謝したいものだと、そんなことをふと思ってみたり、みなかったり……。